私たちの物語は、代表夫妻が歩んできた自然への情熱、デジタルの可能性への挑戦、そして何よりもお客様や地域との間に築き上げてきた「信用」の歴史です。
一見すると異なるように見える複数の事業が、どのように繋がり、成長してきたのか。その軌跡をご紹介します。
原点:世界自然遺産・屋久島での挑戦 (2009年~)

2009年、代表の佐藤崇之は、世界自然遺産の島・屋久島でネイチャーガイドショップ「オーセン屋久島」を個人事業として設立しました。
ネイチャーガイドとしての独立と創業の想い
5年間のガイド会社勤務を経て独立を決意したのは、「自分のスタイルで、もっと深く自然と人を繋げたい」という想いからです。
根底には、環境問題への強い関心と、「木を切らずとも自然の価値を経済に繋げる仕組みを作りたい」「都会と自然を結びつけたい」という強い願いがありました。
「森の葉っぱ一枚までデジタル化する」という信念
当時の信念は「森の葉っぱ一枚までデジタルの世界に乗せる」こと。
これは、忘れ去られれば価値を失いかねない自然の情報を、デジタルの力で記録し、可視化し、未来永劫へ繋いでいこうという強い意志の表れでした。
その重要性は、過去に貴重な木材資源として伐採が進んだ屋久杉の歴史から痛感していました。
価値を知られていなかったために失われていった自然。その価値を正しく認識し、多くの人に伝えることこそが真の保全に繋がる――。
そのための最も有効な手段として、インターネットとデジタルの可能性に着目したのです。
転機:信用の獲得とオウンドメディア戦略の確立

独立当初、離島という地理的な制約もあり、集客は大きな課題でした。
見た目の良いウェブサイトを作るだけでは、数多く存在するガイドの中から選ばれる理由にはなりません。
集客の壁と「信用」の重要性への気づき
お客様が本当に求めているのは、単なる情報の羅列ではなく、「このガイドは信頼できるか」を見極めるための判断材料であり、「信用」こそが最も重要だと気づきました。
コンテンツマーケティングとの出会いと実践
安易な価格競争に陥るのではなく、価値で選ばれるガイドになるため、「コンテンツマーケティング」という手法に活路を見出します。
お客様が抱えるであろう疑問や不安に応える質の高い情報を、ガイドとしての専門知識を活かしてウェブサイト(オウンドメディア)上で地道に発信し続ける。
そうすることで、広告費に頼らずともお客様との間に深い信頼関係を築くことができると考えました。
お客様が検索するキーワードを手がかりに、その裏にある「失敗したくない」「確かな価値を得たい」といった深層心理まで読み解こうと努め、それに応える情報提供やサービス改善(例えば、満足いただけなかった場合の返金保証や、お客様都合でのキャンセル料無料化など)を徹底しました。
オウンドメディア戦略の成功と実績

この粘り強い取り組みは実を結び、広告費を一切かけることなく、主要な検索キーワードで上位表示を獲得。ウェブサイト経由での安定した集客を実現しました。
競合よりも高い価格設定にも関わらず予約は常に満員状態となり、お客様の満足度も非常に高い状態を維持。このオウンドメディア戦略によって、個人事業ながら累計売上1億円以上を達成することができました。
同時期、妻である佐藤恭子(ハンドルネーム:ツキシマアサコ)もまた、ガイドとは異なる「旅行者」「移住者」「トレッキング初心者」としての自身の視点を活かし、屋久島旅行情報ブログ「屋久島ファン」を立ち上げました。
オーセンへのお問い合わせ対応で得た悩みや疑問点を崇之と共有し、プロのガイドの知見も取り入れた内容は多くの読者に支持され、人気サイトへと成長。
夫婦それぞれの視点と強みを活かした情報発信が、相乗効果を生み出していきました。
この屋久島での成功体験は、単なるビジネスの成功に留まらず、「顧客の課題を見つけ出し、質の高い情報で応えることで信頼を得ていく」という、その後の事業展開の核となるノウハウと、「信用」という何物にも代えがたい資産をもたらしました。
進化:新たな視点の獲得と秩父への移転
屋久島での活動と並行して、国内外への旅行経験を重ねる中で、新たな事業のアイデアが生まれます。
旅行情報サイト「ハミング旅クーポンデスク」の構想

特に妻・恭子は、結婚前からの豊富な海外渡航経験、「屋久島ファン」では書ききれなかった幅広い旅の知見。
屋久島と実家(名古屋・秩父)を往復する中で培った「お得に旅するノウハウ」をもっと多くの人に役立てたいと考えるように。
そして何より、旅行会社様との提携経験に基づく、業界インサイダーとしての視点。
これが、全国・海外を対象とした旅行クーポン・セール情報サイト「ハミング旅クーポンデスク」構想のきっかけとなりました。
故郷・秩父への想いと移住という決断

世界中を覆ったコロナ禍は、崇之の中に長年抱いていた想いを強くしました。
それは、自身の故郷に近い埼玉県秩父への恩返しです。
「屋久島に負けない素晴らしい秩父の森の魅力を伝え、都会で疲れた人々に癒しを提供したい。そうすることで秩父経済はもっと発展し、人々はもっと気軽にリフレッシュできるはずだ」。
この強い想いから、長年拠点としてきた屋久島を離れ、秩父エリア(埼玉県小川町)へ移住。
「オーセン秩父」としてネイチャーツアー事業を再スタートさせることを決断しました。
結実:課題認識とハミングバードコネクト合同会社の設立 (2024年)

秩父での新たな課題とオウンドメディアの価値再認識
秩父での新たなスタートは、屋久島とは異なる環境での挑戦でした。
特に、近年主流となりつつあったSNSでの集客の難しさを痛感し、改めて、検索を通じてお客様が能動的に情報を探しに来てくれるオウンドメディアの資産価値と有効性を再認識します。
同時に、秩父エリア全体の観光を盛り上げるためには、個々の事業者自身が情報発信力を高める必要性を強く感じました。
オウンドメディア構築支援事業の誕生

「『オーセン秩父』だけが発信するのではなく、エリア全体で魅力を伝え、大きなムーブメントを起こさなければならない」。
屋久島での17年間の経験から得た、地域ブランディングの重要性に対する確信でした。
さらに、恭子には10年以上のアパレル業界での販売・マーケティング経験や顧客対応経験もありました。
これらの「リアルな販売経験」と、収益化してきた「Webマーケティングスキル」を融合させることで、中小企業や個人事業主の方々に、より実践的で成果に繋がる支援ができると確信しました。
これらの課題意識、これまでの経験、そして「屋久島で培ったオウンドメディア構築・運用の成功ノウハウを、今度は地方で頑張る事業者の方々に役立てたい」という想いが結びつき、第3の事業「オウンドメディア構築講座」が生まれました。
3つの事業の統合と「ハミングバードコネクト合同会社」設立

こうして、それぞれの経験と想いを背景に自然発生的に生まれた3つの事業が、互いに関連し合いながら一つの流れを形成し、2024年6月。「ハミングバードコネクト合同会社」として新たなスタートを切りました。
- ネイチャーツアー事業(オーセン秩父): 崇之の秩父への想いと長年のガイド経験の集大成。
- 旅行情報メディア事業(ハミング旅クーポンデスク): 恭子の広範な旅行経験と情報発信ノウハウの展開。
- オウンドメディア構築支援事業: 二人の確かな実績と経験を土台に、地域活性化と中小事業者の「自走」を支援。
社名には、ハミングバード(ハチドリ)のように、 迅速・効率的、柔軟なサポート、多様な価値の発見、環境との共生。
そしてWebの力で「人・サービス・地域」を結びつけ(コネクト)、新たな価値を創造していくという意志を込めています。
私たちの根底にあるのは
「日本を元気にしたい」「地方に眠る価値を発掘し、世界に届けたい」 という想いそして何よりも――
自然と社会との調和の中で、誰もが自分らしく生き、ハミングしたくなる毎日を送ること。
その実現のために、挑戦を恐れず成長することで、未来を切り拓いて参ります。